「好奇心」はなぜ重要で、希少な資質となったのか

漫画・小説のエージェンシーをやってるコルク社のPOSTでこういう話が流れてきました。

で、全然関係なさそうなタイトルの話を思いついたという。こういうのがAIに代替されにくい人間の技能だと思う昨今。皆様いかがお過ごしでしょうか。

2ページ目以降に「料理長が作ってる秘伝の煮汁」を「タレ」と言って怒られる描写があります。これを叱りつける女将さん(?)の言い分もわかります。

高級料亭だったら客もめんどくさい輩が多く、煮汁をタレと言ってしまえば店の品位が下がる(この程度の人を雇ってるのか or 教育もできていないのか)とはなりそうです。

この描写を見て思ったのは「主人公は料理長から作り方を聞いただけで、あまり料理しないから身近にある”タレ”と言ってしまったのかな」というところ。私もタレと煮汁の厳密な区別は知らないですが、醤油・味醂・酒等を混ぜて加熱し、場合によっては素材の風味をつける(非加熱)のが「タレ」で、素材を煮出した水分に調味料等を加えたものが「煮汁」というイメージがあります。

タレも煮汁も作ったことがありますし、実際市販のものを買うよりも自分で作った方がうまいと言うのも経験上体験済み。出汁も時間があるなら自分で引いた方が美味いけど、そんなに時間かけてられないから市販のパック式を使います。

めんどくさそうな料亭に行ってめんどくさそうな料理長から話を振られたとき、自分の経験に基づいて会話ができるというのは楽しいです。こちらが一定以上の知識があると思ったら相手の方はより細かくいろんなことを教えてくれます。

「好奇心」の強い人の特徴

基本的になんでも体験したがるのと、興味を持って得た知識をなかなか忘れない。この2つが混ざって体系立った知識(粗め)を勝手に作り、何聞いてもなんか答える変人になります。モテません。

こういう人は勉強が得意なわけでもないのが困ったところで、学業成績は悪くはないけど良くもないくらいのところに居ます。が、体験から学んだ部分を学問で補強すると体系(粗)が体系(精緻)になり、さらに蘊蓄を積み上げて尚更めんどくさい人材*1になっていきます。モテない。

スペシャリストは当然この好奇心人材なんですが、ゼネラリストの好奇心人材というのが世間一般では結構役に立ちます。この人たちは基本的にどの市場からも引く手数多です。

というのもどの業界に入っても乾いたスポンジのように周囲のナレッジを吸い込み、それを過去の経験と照らし合わせて粗い体系に整え、スペシャリストの知見を足して固く強靭な仕組みなりシステムなりを作れるからです。

「自分は好奇心があるけど評価されてない」という場合の原因は主に2つで、①プレゼンテーション・話を整える能力が足りていない、②人の話を聞かなすぎ のどちらかだと思います。

昔は体育会系で体系だった知識を無理やり教え込むことができていた

先の漫画ではちょい強めな口調で指導しています。過去、料亭の見習いなんかは5年・10年の修行が当然で朝から晩まで同じ作業をやり、叱られつつ知識を身につけるということをやってたんじゃないでしょうか。

現代社会では許されなくなったこの指導法、過去には一定の効果があったんではないかと思っています。一方、この指導で生み出された側の人材は同じやり方での再指導はできるけど、社会の変容に対するロバスト性は低く、同じやり方が通用しないこのご時世では人が来ません。

「粗いが体系立った知識を持つ素養」の供給元は「体育会系指導」が主力だったのが、「天然物」を探すしかなくなった。この人材は中々探しにくいというのが現代社会です*2

好奇心ってどうやったら育つのか

これはもう教育しかなく、現在の日本の公教育は好奇心を育てるようにはできてないです。小学校の授業とか見てると改善しようとしてる節は見えますが、色んなものを見せて体験させるのには金がかかるので公に任せられるものでもありません。

そこそこ金持ってる家庭で育ち、中堅以上の大学の学歴を持った人材を掘り起こしていくしか入手方法はないんだろうなと思います。社会人教育の中でこれ身につけさせるのはちょっと無理そう。

今日言いたいことはこれくらい。

*1:こいつら技術・家庭科とか超得意だし、中学校くらいまでの数学・理科は無敵なくせに高校後半の数学や物理で失速しがち。

*2:体育会系指導を嫌がった人材がIT業界に集まり、好奇心に溢れた人材はIT業界に溜まっているという側面はある気がします